陰暦7


本屋などで様々なカレンダーが並んでいて、ふとカレンダーを見てみますと

「睦月」

「如月」


など、陰暦が書いてあるカレンダーを見かける事があります。


いったいこれが何を意味しているのでしょうか?
そもそも「陰暦」とは、何の事を指すのでしょうか。


また、陰暦の生活に役立つ利用法はどんなものがあるのでしょう。
今回はそんな疑問の解決をしていきましょう。


さて、疑問解決にしても、また利用の仕方をを理解するためにも陰暦の概略が分かっていないといけません。


まずは、陰暦の概要をお話しをした上で利用の仕方へと進めていきましょう。




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 やさしい陰暦の概要の知識から

まず陰暦ですが「太陽太陰暦」と言っているようです。

また、旧暦とも言いますね。


旧暦の方が、恐らくは聞き覚えがあるかと思います。


いま多くの国で一般的に使われている太陽暦(日本も太陽暦です)とは対義の意味を持っています。


いまだにネパールなど東南アジアの一部地域では、公式に陰暦を用いている国もあります。


よく中国などで2月に「旧正月」を祝う祭事がありますが、これは陰暦の名残ですね。


悩みごと

さてこの陰暦ですが、月の満ち欠けを基準として定めています。
なので陰暦の1ヵ月は29日または30日となっています。


そして、それをもとにして1年を12ヵ月と定めています。


そのため、太陽暦とは異なり、1年は約354日で計算します。


では、その12ヶ月のそれぞれの名称や名前の由来を表にしてみましたのでご覧になって下さい。


<< 陰暦の各月の名前と由来 >>
  陰暦の月ごとの名前  名前の由来
1月/ 睦 月(むつき)
新年を親類や知人がお互いに親しみ合い、仲睦まじくする月とする説が有力とされています。
2月/ 如 月(きさらぎ)寒さで着物を更(さら)に重ねて着ることから、「着更着(きさらぎ)」とする説が有力とされています。
3月/ 弥 生(やよい)「弥生(いやおい)」が変化したものとされています。「弥(いや)」は「いよいよ」「ますます」などの意味があり。「生(おい)」には、「生い茂る」と使われ、草木が芽吹くことを意味しています。
つまり草木がだんだん芽吹く月であることから、弥生となっています。
4月/ 卯 月(うづき)卯の花(ウツギの花)が咲く季節なので、「卯の花月」の略とする説が有力となっています。
5月/ 皐 月(さつき)耕作を意味する古語の「さ」から、稲作の月として「さつき」になった。
なお「皐」には、「神に捧げる稲」という意味がありますので、皐月が当てられたと思われます。
6月/ 水無月(みなづき)水の無い月と書きますが、「無」は「の」という意味があり「水の月」という言葉のようです。
旧暦六月は田に水を引く月であることから、水無月と言われるようです。
また、旧暦の六月は梅雨が明けた時期にあたるため、「水の無い月」
とする説もあるようです。
7月/ 文 月(ふみづき)短冊に歌や字を書いて、書道の上達を祈った七夕の行事にちなんで、「文披月(ふみひらきづき)」が転じて文月となった説が有力のようです。
8月/ 葉 月(はづき)新暦では九月上旬から十月上旬の秋にあたるため、この時期は葉の落ちる月で「葉落ち月」が転じて「葉月」になったとする説。
また稲の穂が張る月「穂張り月」や「張り月」から、「葉月」になったとする説があります。
9月/ 長 月(ながづき)新暦の十月上旬から十一月の上旬にあたりますが、夜がだんだん長くなる「夜長月(よながつき)」の略とする説が最も有力なようです。
10/ 神無月(かんなづき)神を祭る月であることから、「神の月」とする説が有力とされています。
神無月の「無」は、「の」を意味することばとなっています。
11月/ 霜 月(しもつき)「霜降り月・霜降月(しもふりつき)」の略とする説が有力となっています。
12月/ 師 走(しわす)師走は当て字となっていて、語源としては、師匠の僧がお経をあげるために、東西を馳せる月と解釈する「師馳す(しはす)」があります。

ところで、陰暦はいまだになくなることもなく、現在でも利用されているようです。

ではその利点はなにがあるのでしょうか。




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 陰暦の利用の仕方や利点など

陰暦はそれなりに利用の仕方や利点があるようです。


と言いますのも

陰暦は、月を基準としていますので、毎月1日と15日は必ずほぼ満月になります。

つまり

「毎月の日にち」と ⇒ 「月のかたち」(明るさ)が一致することになるのです。


そのメリットの一つとして、

夜に行う行事などは空に浮かぶ月を見ながら予定が立てやすいということがあげられます。


では、夜の行事の予定が立てやすいということで例をあげますと


例えば皆さんおなじみの夏の盆踊りです。


盆踊りは、いまでも8月15日付近に実際されています。


これは陰暦でしたら15日はほぼ満月になるのがわかっているからです。
そしてその日は、月の明るさで夜でも踊ったり遊んだりすることができるからなのです。


昔から現在でも、8月15日の月のかたちは毎年変わっていません。


ですから、夜の照明のなかった時代は便利だったに違いありませんね。


 陰暦は漁業や農業に役立っている

月3

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この陰暦ですが、海で仕事をする漁師にも役だっています。
漁師はたいてい陰暦を参考にしていることはよく知られていることです。


なぜかといいますと

新月と満月の1日や15日には大潮(潮の満ち引きの大きい日)がやってくるからなのです。

漁師などの船乗りは、陰暦を利用することで、

新月付近と満月付近の頃が潮の満ち引きの大きい大潮であることを、毎日の漁業に役立てているということですね。


また、漁の善し悪しですが、

・月の満ち欠けやその影響で起こる潮の満ち引きや潮の流れ

・夜ならばその日の満ち欠けで変わる月明かり


これらによってもかなり変わると言われています。



それから陰暦は、季節と暦が一致していますので農業にも最適です。


季節ごとの野菜の栽培の仕方も、陰暦であれば失敗せずに管理ができるということになります。


現在でも農業にまつわる行事や祭事は、陰暦を参照しています。


さて、この生活に便利な陰暦ですが、現在では太陽暦に変わっていますがいつから太陽暦に変わったのでしょうか。


 太陽暦に変わったのはいつから?

悩みごと


日本では、1872年(明治5年)に現行の太陽暦(西暦)が採用されています。


それまでの間は、約1200年もの間、日本人は陰暦と慣れ親しんでいたのです。


陰暦は農業や漁業には適していました。

ですが、地球の公転周期とのズレが大きく毎年閏月が異なったりするために、暦を作るのが大変というデメリットがあります。


その点、太陽暦は実際の地球の公転周期に近く、閏年による補正が少しで済むというメリットがあるのです。


また一旦暦を作ってしまえば、数百年は修正が不要という事もあります。

閏年(うるうどし、じゅんねん)とは

閏がある年のことです。
なお、閏年でない年のことは平年と呼びます。

通常、閏年は平年より暦日または暦月が1つ多くなります。
その余分な日を閏日、月を閏月、またこれらを総称して閏と呼んでいます。

閏は、暦と太陽または月の運行とのずれを補正するために挿入されます。
閏の挿入規則を置閏法(ちじゅんほう)と呼ぶ。

なお、「閏」の字が常用漢字表に含まれていないため、うるう年とも書く。

 まとめとして

陰暦から太陽暦に変わったのは、合理性を考えて太陽暦に変わったのですね。


説明してきましたように、陰暦での月の名称である「睦月」「如月」などにはそれぞれ季節独特の意味がある月の名前が付いていました。


今一度、昔ながらの陰暦と農業との関わりなどをもっと調べてみる事で、日常生活の中に月ごとのその季節を感じてみるのも楽しいかもしれませんね。

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