国際結婚により中国人妻を迎えて新しい生活の始まり

住宅が規則正しく密集し、四角い集落ができあがっている(中国ハルビンの上空)

中国 ハルビン


妻が、中国のハルビン市から日本に来たのが平成18年の10月26日です。
すでに、8年以上の月日が経過したことになる。


思い起こせば妻が来日したときの広島空港、そして山陽新幹線の広島駅でのことは、今でも鮮明に脳裏に浮かんでくる。


その日は、10月とは思えないほどひどく蒸し暑い一日だった。
蒸し暑かったことが余計に当時を思い出させるのかも知れません。


中国での思い出を胸に広島空港の国際線到着ロビーで、妻との久しぶりの再会を待った。
だが、飛行機は到着したものの、待てどもなかなか妻の姿が現れない。
乗客は途絶え、一瞬「妻が飛行機に乗っていない、だまされた!!」と頭をよぎった。


不安な時間は経過し、あきらめて帰宅しようかなと思うような心境でした。
呆然とした空気の閑散とした到着ロビーで、この後、待つべきか帰るのかぼんやりとしながらこの先の行動をどうするか悩んだ。


どのぐらいの時間が経過したか覚えてないが、やっとようやく妻がゆっくりと現れた。
その表情からは、再会を喜ぶような楽しさは微塵もなかったことを思い出す。
中国で出会った明るい笑顔の人物とはまるで別人のようにも思えた。


自分自身も顔がこわばっていたと思うが、とにかく気を取り直して妻のそばに寄ると、驚くほど沢山の荷物を持参していました。
また、その荷物の一つには男の私でさえもかかえ上げることが出来ない程の重さのものがあった。
まるで石が入っているかのように!


その時、到着ロビーに現れるのが遅くなった理由が分かった気がした。

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また、そのとき思ったのは・・・
沢山の荷物、そしてなによりもかかえ上げることさえ出来ない荷物をどうやって運んだのだろう?
質問しようにも言葉が通じない二人は、簡単な会話さえもできません。


その沢山の荷物を空港の出口で待つリムジンバスに積み込み空港から広島駅へと向かった。
広島駅に到着し、また重たい荷物をリムジンバスから降ろす作業が待っていた。
さらに、蒸し風呂のような駅のホームで、妻と二人で石のような荷物をまさに引きずるように歩みました。


荷物を運ぶ台車もあったのかもしれませんが、まったく気がつくこともなくとにかく行動していた。 
そこには、さらに疲労の増した妻の顔があった。


駅のホームを時々休みながらの移動ではありますが、蒸し風呂のような暑さのなかで苦痛の表情をみせる妻に、慰めの言葉をかけることもできません。
言葉が通じない現実を、いとも簡単に痛切に突きつけられたのです。
ただ、心の中で「がんばれよ!」と願うことしかできないのでした。


そして、ようやくのおもいで駅のホームでの移動も終わり一息つく。
二人の空間に極度の極限に近い疲労感が漂った。
わたし自身もとにかく座り込みたいと思ったそのときです、なんと妻は崩れ落ちるように私に抱きついてきた。


妻の疲労感、体力が限界に達していたのだろう。


察するところ、これから始まるであろう生活の不安からくる極度のストレスがあったのだろう。
また、慣れない土地での旅の疲労が重なったことは間違いないでしょう。
妻は、飛行機による中国からの出国は初めてだったのです。


中国に居る、母や姉弟と別れることは並大抵の決断だったに違いない。


駅のホームでは、蒸し暑さと極限の疲労に耐えながら重苦しい空気が流れていた。
私の隣にいる妻は、中国で出会った、あのハツラツとした明るい笑顔の人物と同一なのか?
それほど沈痛な空気が流れていたのです。


ほどなくホームに新幹線がゆるやかに滑り込んでくる。
だが、それからさらに自宅到着まで、荷物の積み降ろしの格闘が続く・・・


待ちに待った日本での再会ではあるが、妻も私も疲労困憊の幕開けだったのです。


とにかくも、国際結婚で中国人女性を妻に迎え入れたことが、良かったのか、悪かったのか。
その答えを今の時点で出すことは当然できない。


今まで、日々いろいろと悩み、試行錯誤の時間が経過した。


外国人妻を迎え入れた私の体験や国際結婚に対する思いをつづり、それが皆様のご参考になればいいなと思っています。



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