氏と姓




氏と姓という言葉は、通常その人の名前に対応する

「家の名」

を表すものとして使われています。


ですが、それぞれの正確な意味やどのような違いがあるのか?

また、どのような歴史的な由来があるのか?


などということについては意外と分からないまま使っているのではないでしょうか。


実は氏や姓という言葉は、

それぞれの時代の、社会や政治の状況を反映しているという側面があるものなのです。


今回は、そのような氏と姓の違いや由来について詳細に調べてみました。




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 氏名と姓名との関係とは

まず氏名という場合と姓名という場合のお話しをしていきましょう。


氏名とは:
戸籍法上の氏と名のことになります。

姓名とは:
戸籍法に限られず、その人の苗字を表すものになります。


具体的な事例の方が分かりやすいと思います。


たとえば、

「吉永小百合」(本名、岡田小百合)で考えてみましょう。


「吉永」という苗字は「姓」ですが、それは結婚や離婚あるいは養子縁組などをしても変わることはありません。


でも、戸籍法上の手続きをする場合には、

その「氏名」を記入すべき箇所に、戸籍法上の「氏名」としての「岡田小百合」を記入しないといけないのです。


 歴史的な背景でみる氏と姓とは

歴史的な背景で考えてみますと、

「氏(うじ)」は ⇒ 血縁集団を示す呼称になります。

「姓(かばね)」は ⇒ 職業や職能を示す称号を意味するものでした。


その昔、古代日本においては5世紀末から6世紀にかけて、公地公民を基本としていました。

そのときのヤマト政権は、「姓」により差別化を図り当時の地方豪族を束ねるという手法を取っていたのです。


このように、ヤマト政権が確立したことで氏姓が制度化されていきました。

そうして、王権との関係や地位を示す称号にもなっていきました。


最初に制度化したのは成務天皇でして、

国造(くにのみやつこ)
県主(あがたのぬし)
ワケ(和気、別)
稲置(いなぎ)

などが定められました。


また、允恭天皇の時代においては臣連制度が導入され、

公君(きみ)
臣(おみ)
連(むらじ)
直(あたい)
首(おびと)
史(ふひと)
村主(すぐり)

などが定められています。



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 氏姓制度を基盤とする統治機構とは

その後実力本位の登用を企図していき、

氏姓制度を基盤とする統治機構を構築していきました。


でも、この氏姓制度も壬申の乱(672年)の後の天武天皇が制定した八色の姓によって、「姓」が世襲制とっていきます。


つまり、氏姓制度の有名無実化が進み、氏と姓の違いが次第になくなっていったのです。


とは言っても、身分が高い者だけが使用することを許されていた氏姓を有することで、その人がどのような身分の者であるかは示すことはできていました。


平安時代においては五摂家、また鎌倉時代以降においては

  • 源氏とその氏族
  • 足利とその氏族
  • がとりわけ高く評価されていました。


     苗字(名字)が家の名として世襲される

    氏や姓とは別に、苗字(名字)が家の名として世襲されるようになったのは、平安時代末期以降のことになります。


    氏という大きな血縁集団のなかから、家父長的な家族が独立していきました。
    それがその後、独自の家名を称え始めたことに起因しています。
     

    その一派として公家の称号と言うものがありました。


    それは、主としてその公家が住む地名を取ってこれを呼称としたものなのです。


    ただ、男子が結婚をしたとしても妻の家に住んでいる間は、当然、父から子へと世襲されることは少なかったのです。



     人口増加で姓の有名無実化が進む

    氏と姓1

    古代から平安時代にかけては、人口が少なく役職がそのまま姓となっても別段差し支えはありませんでした。


    ですが、時代が進み江戸時代においては人口が爆発的に増加しました。


    そして、300を超える藩が整備されてくると、それだけの姓の数では同じ苗字の人が増えすぎて収拾がつかなくなってきたのです。

    そのことが、やがて姓の有名無実化に拍車をかけていったのです。



    ヤマト政権から明治維新の間までかろうじて命脈を保ってきた「姓」というものは、

    藤原朝臣永敏(大村益次郎)
    藤原朝臣利通(大久保利通)
    藤原朝臣重信(大隈重信)
    源朝臣有朋(山形有朋)

    などに代表される「朝臣」であり、


    また、越智宿禰博文(伊藤博文)

    などに代表される「宿禰」などの姓が使われていました。


    これは天皇及び朝廷に仕えるために氏姓が必要であるとしていましたが、多分に復古的な色彩が強かったと言えるでしょう。


     苗字を名乗ることを義務とした苗字制定記念日とは

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    明治維新の後、1870年に明治政府は平民苗字を出しました。

    これ以降は、だれでも苗字を名乗ることができるようになっています。


    ただ、租税の徴収などを恐れて実際に名乗る者はあまりいませんでした。


    しかし、日本の近代化を進めていくための施策上のこともありました。

    つまり、欧米のように苗字を名乗らせて、人身を戸籍によって管理しなければならないのです。


    そして、1875年2月3日に平民苗字必称義務令を出して苗字を名乗ることを義務としました。

    これにちなんで2月3日を苗字制定記念日としています。



     まとめとして

    改めて、氏と姓ですが、


    氏は血縁集団を表す称号であるのに対して、

    姓は職業・職能を表す称号としていました。


    これは、とりわけ古代ヤマト政権以降において、

    天皇から賜ったその人の社会的ステータスを示すものでありました。


    現在ではどうかと言いますと、

  • 氏名
  • 姓名
  • 苗字
  • 名前
  • というようにそれぞれのシチュエーションで使用されています。


    もはや、昔のように、職業・職能を表す称号としての意味合いはありません。


    その代わりと言いますか、

    会社や役所あるいは地域における役職や資格・勲章などがその人の社会的ステータスを表す称号として機能しているように思われます。


    今回は、やや堅苦しいお話しとなってしまいましたが「氏」と「姓」の違いなどお分かりいただけましたでしょうか。

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