お正月と言えばおせち料理が定番となっています。

そして、ほとんどの人がお正月にはおせち料理を食べていることでしょう。


でも、そのおせち料理は、

「いったいいつから食べられるようになったんでしょうか?」

また、

「どうしておせち料理というのだろうか?」


そういった疑問を持つことはありませんでしょうか。

この記事では、
  • おせち料理の由来や歴史
  • どうしておせち料理というのか
  • について分かりやすくお話しましょう。


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     おせち料理は宮中行事に由来する

    中国から伝わった「節」という行事があります。

    この行事は日本に定着し、奈良時代から平安時代には宮中行事となっていきました。


    暦の上で節目に当たる日となる「節日」があります。

    その「節日」に邪気を祓い、不老長寿を神様に祈願する儀式としてお供えをし、宴を開くようになりました。


    この宮中行事の事を「節会(せちえ)」と呼びました。

    この「節会」で供された食べ物を「御節供(おせちく)」と言います。
    それが、現代の「おせち料理」の語源となったとされています。

    平安時代の「御節供」というものは、高森にしたご飯などが供されています。

    なので、現在のおせち料理とはかなりイメージがかけ離れていました。


    現在のおせち料理の基礎となるお正月料理になったのは、江戸時代に入ってからになります。


    おせち料理という呼び名はいつから始まった?
    江戸時代の当時の庶民の間では、「おせち料理」という呼び方はされていませんでした。

    当時は「食積(くいつみ)」や「蓬莱」と呼ばれていました。

    では「おせち料理」という呼び方がされるようになったのはいつ?
    それは第二次世界大戦が終わって以降の事と言われています。


    各家庭で作られるのが常であった正月料理を、デパートで箱詰めされて販売されるようになりました。

    その際にその箱詰めされた正月料理を「おせち」という名称で売り出したのがきっかけとされています。

     お正月料理のおせち料理は江戸時代に始まる

    江戸時代に入ると、徳川幕府が五節供を公的な祝日として定め、公式行事になりました。

    このような行事は庶民にも受け入れられるようになります。
    同時に「御節供(おせちく)」も庶民の間に広まっていきました。

    一説によりますと、

    「江戸時代の後期に朝廷内で行われていた宮中行事を、庶民が生活の中に取り入れるようになった」
    ことがきっかけとされています。

    五節供として、一年に何度も行われていた節供の内、最もめでたく重要とされるお正月の料理が、庶民の中で定着していくことになります。


    そして、様々な食文化が発達していった時代背景が反映され、料理の種類も増えていくことになります。

    おせち料理の中に入っている料理の一つ一つに意味がこめられ、また新しい年を祝うために食べられるようになったのは江戸時代の後期の事になります。

    五節供(ごせっく)とは
    季節ごとの食物を神に供えて,節日を祝う儀式。

    五節会 (ごせちえ) が朝廷の儀式であるのに対し,公家以下庶民の行事であった。

    1月7日の人日 (じんじつ) ,3月3日の上巳 (じょうし) ,5月5日の端午 (たんご) ,7月7日の七夕 (しちせき) ,9月9日の重陽 (ちょうよう) の5回である。

    鎌倉時代頃からは朝廷でも行われるようになり,江戸時代には幕府により式日として定められ,「節句」の字を用いた。

    1873年1月,制度としては廃止されたが,上巳や端午,七夕の行事は,現在でも盛んである

    ブリタニカ国際大百科事典

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     おせち料理の歴史をさかのぼると弥生時代につながる

    おせち料理の歴史は弥生時代にまでさかのぼります。

    これは、日本人がお米を食べ始めたことと関係があります。


    大昔は狩猟によって食料を得ていましたが、弥生時代になると稲作などの農耕が行われるようになっていきました。

    そうしたことから自然の恵みに対して感謝をする習慣が生まれます、
    そして、神様に感謝する行事が行われるようになりました。


    ちょうどその頃、中国から季節の変わり目を「節」とする暦も伝わってきます。
    この「節」に合わせて感謝をささげて作った料理が「おせち料理」の始まりともいわれています。


     改めておせち料理とは何だろう?その基礎常識

    おせち料理とは、お正月に食べられる料理のことで、新しい1年を迎えることができたことを祝うものです。

    「御節料理」と書きますが、もともとの意味は暦の上での節句を表しているものでした。
    その節句とは1年のうちの節目となる日の事を言います。

    先ほども紹介しましたが、節句は1年に5つあり五節句と言いっています。

    五節句には、

    ① 七草がゆで知られる人日(1月7日)
    ② ひな祭りで知られる上巳(3月3日)
    ③ 子供の日の端午(5月5日)
    ④ 七夕(7月7日)
    ⑤ 菊に長寿を祈る重陽(9月9日)

    があります。

    お気づきのように、五節句の中に元日(1月1日)は含まれていません。
    なぜかというと、節句の中でも特にめでたい日とされていて、別格扱いされていました。


    先ほどの季節ごとの節句には、神様に料理をお供えとして捧げていました。
    その料理の事を「おせち料理」と呼んでいたのです。

    しかし、時の移り変わりと共に、節句の中でも特に重要でめでたい日とされるお正月(元日)に食べる料理だけを「おせち料理」と呼ぶようになったのです。


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     まとめとして

    毎年、年末になると当たり前のように食べられてきたおせち料理ですが、その歴史は弥生時代にまでさかのぼる事が分かりました。

    元々は収穫を感謝して、神様にお供えをしたことが始まりだったわけですね。


    全く宗教的な意味合いもわからずに、何気なく食べている人も多いのではないでしょうか。


    また、「おせち料理」という呼び方がされるようになったいきさつは、第二次世界大戦以降だったとは、とても興味深いですね。

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